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仙台高等裁判所 昭和56年(う)67号 判決

本籍

岩手県岩手郡玉山村大字松内字簗場五六番地の二

住居

盛岡市山王町四番一号

会社役員

岩崎善吉

大正九年二月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年三月三日盛岡地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人阿部一雄提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一、第二(事実誤認の主張)について

所論は要するに、原判決は罪となるべき事実として、被告人は昭和四六年分の課税所得金額が一億〇、七八三万三、四七四円であり、これに対する所得税額が六、八三八万八、〇〇〇円であったのに、不正な方法により所得を秘匿したうえ、昭和四七年三月一五日盛岡税務署長に対し、所得金額が五四一万六、四二五円であり、これに対する所得税額が一一四万五、一〇〇円である旨虚偽の所得税確定申告書を提出し、昭和四六年分の所得税六、七二四万二、九〇〇円を免れたと認定したが、原判決添付の別紙1修正損益計算書の勘定科目番号〈1〉、〈3〉、〈4〉に記載された各売上は、昭和四七年もしくはそれ以降に履行の終った取引であるから、昭和四六年分の売上に計上すべきでないし、同勘定科目番号〈16〉、〈17〉、〈18〉は、右〈1〉、〈3〉、〈4〉の取引に関する仕入であり、同〈21〉の土地は右仕入れによって得られたものであるから、前者を損金、後者を益金に計上すべきではなく、また同番号〈16〉の仕入金額、同〈23〉、〈24〉、〈25〉の各工事原価、同〈37〉の支払利息の認定にも誤りがある。そして被告人は右〈1〉、〈3〉、〈4〉の各取引が昭和四六年分の取引でないと考えていたことや同年中の他の取引により三億五、〇〇〇万円を下らぬ損失が見込まれたなどの事情から、本件の如き確定申告をするに至ったもので、不正に所得税を免れる犯意もなかったというべきである。原判決は所得税額算定の基礎となる各勘定科目の認定を誤ったうえ、被告人の犯意を肯定したもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら原審取調べの各証拠によると、原判示の罪となるべき事実が、その添付の修正損益計算書の各勘定科目の内容及び脱税額計算書の計算を含め、すべてそのとおり認められ、本所論と同旨の主張について、原判決が「主たる争点に対する判断」として判示した認定も首肯するに足り、当審における事実取調べの結果を合わせ検討してみても、原判決に所論の事実誤認があるとは認められない。以下控訴趣意の順序にしたがって順次判断する。

一、修正損益計算書勘定科目番号〈1〉の取引(小泉弥太郎関係)について

所論は要するに、被告人を売主、帝国ホテルの委託を受けた小泉弥太郎を買主とし、昭和四六年九月三〇日に締結された不動産売買契約の対象物件は、

(1)  岩手県岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番の二、山林のうち一四万一、一九〇m2(日野沢一族共有分)

(2)  同所二五番の三、山林一七万五、八四一m2

(3)  同所二六番、山林一九五万一、一六六m2

(4)  同所二六番の五、山林五六万六、四九九m2

(5)  同所二六番の一二、山林二二万九、六四二m2

の五筆の山林であったが、右土地はいずれも共有地で、その全共有持分を小泉弥太郎が取得して、その移転登記がなされ、引渡も完了しなければ、売主の債務がその本旨にしたがって履行されたとはいえないところ、(3)、(4)、(5)の各土地は昭和四六年中に全共有者の移転登記がなされたが、六五株の共有地である(2)の土地については、熊原清ら八名の共有分(六五分の一〇)の移転登記が昭和四七年三月一五日になされており、また同地の共有者の一人藤田光孝は売却に同意せず、昭和四七年中に同人の持分相当の地積を分割して解決しているし、(1)の土地は日野沢才七、日野沢才一郎の各共有持分三九〇分の一五が昭和四六年中に移転登記されたものの、同持分の分割登記はなされていないうえ、同年中移転登記のなされた土地を含め、現地の引渡しは同年中には全くなされなかった。したがって本件売買契約に基づく取引は昭和四六年中に成立したものではなく、同年中に交付された売買代金も仮受金というべきで、同年分の収入に計上すべきではない、というのである。

しかしながら記録によると、本件売買契約は、被告人が岩手県岩手郡玉山村の岩洞湖畔にある共有者多数の前記(1)ないし(5)の各山林を、各共有者から取得のうえ、これを小泉弥太郎に売却し、移転登記は被告人が共有者からこれに必要な書類の交付を受けて小泉に渡し、小泉が中間省略の方法により、小泉または帝国ホテルに直接移転登記し、その売買代金二億三、一七五万九、五〇〇円(坪単価二五〇円)は、被告人から小泉に対し共有者らの登記関係書類が引渡されるのと引き換えに順次支払われる趣旨であり、昭和四六年七月八日と同年九月一六日に締結された売買契約を整理して同年九月三〇日に最終的な契約が成立したものであるが、右九月三〇日付契約書によれば、(1)の土地は日野沢才七及び日野沢才一郎の共有持分を取引の対象としていることが明らかであるところ、同持分は右契約締結日に小泉弥太郎に移転登記がなされたほか、(5)の土地は同年九月二八日、(3)、(4)の土地は同月三〇日に全共有者から小泉弥太郎に移転登記がなされたこと。これに対し(2)の土地は、その共有者の一人である幅光夫が(1)の土地の持分六五分の四を放棄する代わりに(2)の土地の持分権を全部取得する約束が共有者間で成立していたが、その旨の登記手続を履んでなかったうえ、同地の六五分の二の持分を有する藤田光孝が幅光夫の所有となったことを認めず、その持分を被告人に売却することを拒否したなどの事情があって、被告人の買収が遅れ、六五分の五三に相当する共有者の持分は昭和四六年中にできたが、熊原清ら七名(合計六五分の一〇)の持分は昭和四七年三月一六日帝国ホテルに移転登記され、藤田光孝の持分六五分の二は買収することができなかったこと。そしてこれに対する売買代金は、昭和四六年一〇月一日までに合計一億七、八〇〇万円と同月八日に四、八五一万九、五〇〇円が小泉から被告人に支払われ、残金五二四万円は本件各土地のうち石井辰男から仕入れた土地に関する不動産譲渡税負担部分を留保した関係で昭和四七年三月一五日に支払われたところ、買主である小泉弥太郎は、熊原ら七名の持分の移転登記は手続上遅れているのみであり、藤田光孝の持分は僅かなので、これが取得できなくとも(2)の土地を含め本件売買契約を解除する意思は全くなく、その故に売買代金全額を支払ったものであることが認められる。以上の事実によれば、昭和四六年中に共有持分の移転登記が履行され、これに対して支払われた売買代金は、権利が確定し、実現した収入として同年中の益金に計上すべきものであり、昭和四六年中に移転登記の履行されなかった(2)の土地に関する熊原ら七名の持分六五分の一〇、及び藤田の持分六五分の二に見合う代金二四五万五、〇一五円を本件売買代金から差引いた二億二、九三〇万四、四八五円を本件取引による昭和四六年分の売上げとした原判決の認定は相当である。

二、同勘定科目番号〈3〉の取引(大京観光株式会社関係)について

所論は要するに、昭和四六年一〇月二五日被告人と大京観光との間で締結された売買契約の対象物件は、

(1)  岩手県岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番の二、山林一七二万五、八六一m2

(2)  同所二五番の三、山林一七万五、八四一m2

の二筆で、いずれも共有地であるのが、本件取引も前記と同様、大京観光に全持分の移転登記がなされ、その引渡しを完了しなければ、債務の本旨に従った履行がなされたとは解されないところ、(1)の土地については、六一株共有持分のうち五三株の共有持分が昭和四六年中に大京観光に移転登記されたが、日野杉イソら四名の共有持分(合計六一分の六)は昭和四七年一月二四日に移転登記されたほか、藤田光孝の共有持分は買収できなかったため、これを六五分の二として計算した五万三、一六六m2の土地を、昭和四七年二月二四日に分割して解決し、また(2)の土地については、昭和四六年中に移転登記も引渡しもなされず、帝国ホテルとの関係もあって結局解約になっているのであるから、本件取引は昭和四六年中に成立したものでなく、同年中に支払われた土地代金は、仮受金とし、右取引の成立した昭和四七年度の収益として計上すべきものである、というのである。

しかしながら記録によると、被告人は昭和四六年一〇月に大京観光との間において、右(1)、(2)土地を代金二億三、〇〇〇万円、土地の引渡しは移転登記、あるいは被告人が共有者らの持分移転登記に必要な書類を取りまとめて大京観光に交付して行う旨の売買契約を締結し、昭和四六年中に(1)の土地(登記簿上は六五株の共有地であるが、幅光夫が前記のように持分六五分の四を放棄しているので、実際は六一株の共有。但し藤田光孝は幅光夫が(1)の土地の持分を放棄して、他の土地を取得した事実を認めず、自己の持分は六五分の二であると主張)のうち六一分の五三の持分について、大京観光に移転登記がなされたが、日野杉イソら四名の持分(合計六一分の六)の移転登記は昭和四七年一月二四日になされ、被告人に対する売却を承知しなかった藤田光孝の持分については、その主張にしたがい持分六五分の二として算出した面積五万三、一六六m2の土地を、昭和四七年二月二四日に(1)の土地から分筆し、これを同人の単独所有として解決し、(2)の土地は、被告人がさきに小泉弥太郎に売却した同人との取引における(2)と同じ土地で、共有持分の殆んどが帝国ホテルに移転登記されており、これを被告人が買戻したうえ大京観光に移転登記する約束であったが、帝国ホテルが買戻しに応じなかったため、結局昭和四七年になって(2)の土地に対する売買契約は解約となった。そして本件取引における売買代金は、昭和四六年一〇月二五日に一億円、同年一二月二一日に五、〇〇〇万円、昭和四七年一月一八日に五、〇〇〇万円の合計二億円が大京観光から被告人に支払われ、残金三、〇〇〇万円の支払は留保されたが、これは(2)の土地及び(1)の土地中藤田光孝の持分六五分の二の移転登記の見込みがないことを理由にその代金相当額を留保したものであること。このように大京観光との取引は、(2)の土地の売買が解約され、(1)の土地についても藤田光孝の持分六五分の二の取得ができなかったが、(2)の土地の面積は(1)の土地の約一割に過ぎないし、藤田光孝の持分も僅かであり、なお日野杉イソら四名の持分は登記手続が書類整備のため多少遅れ、昭和四六年中にできなかったものであって、大京観光は将来の開発を予定し山林を現状のまま購入する本件取引においては、代金の支払がなされて移転登記の済んだ(1)の土地は確定的に会社の所有となって、その取引は完了したと解しており、藤田光孝の持分が取得できず、これに相当する地積を分筆したことや、日野杉イソら四名の持分の移転登記が遅れたことをもって、本件取引を解約する意思は全くなかったことが認められる。

以上の事実によれば、本件取引において、昭和四六年中に移転登記を完了した部分は、同年中に収入の確定したものとして同年分の収益に計上するのが相当であり、本件の売買代金二億三、〇〇〇万円から、昭和四六年中に移転登記のできなかった、(1)の土地中藤田光孝の持分に見合う六四二万三、〇〇〇円、日野杉イソら四名の持分に見合う二、〇五三万九、二〇〇円、及び(2)の土地全部に見合う二、一二六万七、〇〇〇円を差引いた一億八、一七七万〇、八〇〇円を、同取引における昭和四六年分の売上げとした原判決の認定は相当である。(なお原判決が昭和四六年中に大京観光から支払われた代金を二億円と認定した点は誤りであるが、前記のとおり、昭和四六年中に移転登記を終了した部分については収入すべき権利が確定したものと解される以上、昭和四六年中に支払われた代金が一億五、〇〇〇万円であるか二億円であるかは、同年分の収益額に差異を生じないというべきである。)

三、同勘定科目番号〈4〉の取引(東和レジスター販売株式会社関係)について

所論は要するに、被告人と東和レジスターとの取引は、被告人が昭和四六年一一月二六日同社に対し、岩手県岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番の一八二、山林二四万三、九五四m2を代金一億〇、一〇〇万円で売却したものであるが、右契約には、目的物件に隣接する岩手県観光開発公社管理の道路につき、買主が利用できる旨の承諾書を、売主が責任をもって公社から受取って買主に交付し、その承諾書交付まで代金のうち五〇〇万円の支払を留保するとの特約条項が定められていたところ、昭和四六年中に承諾書が得られなかったため、代金のうち九、八〇〇万円の支払は受けたが三〇〇万円の支払を留保されたし、公社からは、東和レジスターの取得した土地の中に、公社の使用していた水源地があるので、水源地問題を先ず解決するよう要求され、被告人が水源地二〇〇坪を二〇〇万円で東和レジスターから買戻し、これを公社に無償譲渡のうえ、約三、〇〇〇万円を投じて給水設備を作って公社に渡し、昭和四八年三月にようやく道路使用問題も解決したのであって、本件土地の移転登記は昭和四六年中に履行されたものの、特約条項の履行はなされず、その不履行によって本件売買契約が解約され、多額の損害賠償を請求される危険性もあり、本件が昭和四六年中に成立した契約とは解し得ないから、本件の土地代金を同年中の収入に計上すべきではない、というのである。

しかしながら記録を調査すると、被告人は昭和四六年一一月二六日に、岩手県岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番の一八二山林二四万三、九五四m2を、東和レジスターに代金一億〇、一〇〇万円、道路使用承諾につき所論のとおりの特約条項付で売却する旨契約し、東和レジスターは同日二、五〇〇万円、同年一二月一四日七、三〇〇万円(合計九、八〇〇万円)を支払い、被告人は同年一二月一四日同社に対し右土地の所有権移転登記を済ませたこと、そして特約条項である道路使用の承諾については、県開発公社が、本件土地の隣地にある公社所有の水源地の確保という、道路使用とは直接関係のない問題を持ち出して、道路使用承諾書の交付を渋ったため、昭和四八年三月にようやく解決し、特約により留保された三〇〇万円もそのとき支払われるに至ったが、東和レジスターは昭和四六年一二月一四日に所有権移転登記を受けたとき、本件土地の所有権を取得して売買契約そのものは履行されたものと解し、道路使用問題は後日解決すれば足り、その特約条項の不履行を理由に契約の解除や損害賠償を被告人に請求する意思がなく、そのことは当時から被告人に対しても表明されていたことが認められる。以上の事実によれば、東和レジスターから本件土地代金として支払われた九、八〇〇万円が、昭和四六年分の収入に当ることは明らかであり、これを同年分の売上げに計上した原判決は相当である。

四、仕入れ関係について

所論は要するに、修正損益計算書勘定科目番号〈15〉、〈17〉、〈18〉に各記載の仕入れは、同〈1〉の小泉弥太郎、同〈3〉の大京観光、同〈4〉の東和レジスターの各取引に関する売却土地の取得代金であるから、〈1〉、〈2〉、〈3〉の各取引が昭和四六年中に成立しなかった以上、仕入れの損金に計上すべきでなく、同勘定科目番号〈21〉の期末事業用地に加算すべきものであり、また同番号〈16〉の深野儀一からの仕入れは七一〇万円であるから、これを五〇〇万円と認定した原判決には誤りがあるというのである。

しかし前記のとおり〈1〉、〈3〉、〈4〉に各記載の小泉弥太郎、大京観光、東和レジスターの各取引において、昭和四六年中に履行された土地に対する売買代金は同年分の収益に計上すべきものであるから、同年中に成立した右各取引の対象物件の仕入代金は、当然同年中の仕入れに計上すべきである。また記録によれば被告人が深野儀一から仕入れた土地は、被告人が小泉弥太郎に対し六〇〇万円で売却した岩手県岩手郡玉山村大字藪川字外山三四番の一、原野二万二、二九七m2の土地(同勘定科目番号〈2〉)であることが明らかなところ、被告人の昭和四七年一二月十七日付仕入金額調と題する上申書及び深野儀一の同年一一月七日付質問てん末書によれば、本件土地の仕入代金が五〇〇万円であったことは明らかである。

五、道路工事原価関係について

所論は要するに、原判決は、

(1)  勘定科目番号〈23〉の民部田幸次郎に支払った道路工事代金は、一、四一五万円であるのに、昭和四六年一〇月二一日付二〇〇万円の領収証を架空のものと認定して、その工事代金を一、二一五万円と計上し、

(2)  同番号〈24〉の佐々木善八に支払った工事代金が六〇三万円であるのに、同年一〇月二日付八〇万円の領収証を架空のものとして五二三万円を計上したほか、同年一一月三〇日付一〇〇万円の領収証も架空のものと認定し、

(3)  同番号〈25〉の杉山武松、三浦政人、花坂建設の工事代金は、六〇〇万五、〇〇〇円であるのに、同年九月三〇日付五〇〇万円の花坂建設の領収証を架空のものと認定して、杉山と三浦に支払った一〇〇万五、〇〇〇円のみ計上し、

た誤認がある、というのである

しかしながら、民部田幸次郎の検察官に対する供述調書及び佐々木善八の質問てん末書によれば、民部田は「昭和四六年一〇月二一日付金額二〇〇万円の領収証は被告人に頼まれて書いたもので、金はもらっておらず、架空のものである」旨供述し、佐々木善八もこれを裏付ける供述をしていること。また佐々木善八は右質問てん末書において、「被告人から工事代金として実際に受取った金額は四〇〇万円であり、ほかに民部田を通じて受取った二三万円がある」旨供述して、昭和四六年一〇月二日付領収証に見合う八〇万円を受領していない趣旨の供述をしているほか、花坂建設名義の同年九月三〇日付五〇〇万円の領収証について「花坂建設株式会社は兄花坂が経営し、昭和四二年ころ倒産した会社であるが、この領収証は、私が民部田幸次郎に頼まれて、実際には受取っていないのに、手許にあった同社の印章を利用して書いたものである」旨供述し、民部田も「被告人から、東京の方にやる領収証が必要だから用意してくれと頼まれ、佐々木善八に頼んで書いて貰った嘘の領収証である」とこれを裏付ける供述をしているところ、右八〇万円及び五〇〇万円の各領収証には宛名の記載のないことなどの事情も合わせ考えると、前記民部田名義の二〇〇万円、佐々木善八名義の八〇万円及び花坂建設名義の五〇〇万円の各領収証はいずれも支払いのともなわない架空のものと認められる。当審証人佐々木善八は、同人名義の右八〇万円の領収証については全額、花坂名義の領収証については五〇〇万円のうち四〇〇万円を受領している旨供述し、被告人も原審及び当審公判廷において、右各領収証はすべて現金を実際に支払った真正なものである旨供述するが、佐々木善八の証言は、同人の質問てん末とのくい違いの説明が不合理で、信用するに足りないし、被告人の右供述も前掲の各証拠に照らし信用できない。なお佐々木善八名義の昭和四六年一一月三〇日付金額一〇〇万円の領収証について、所論はこれを架空の領収証であるとした原判決は誤りであると主張するが、記録を検討すると、原判決は右一〇〇万円の領収証は架空のものと認定したものの、佐々木善八関係の道路工事原価として、弁護人が提出した各領収証のうち、前記八〇万円の領収証に関する支払分のみを除外し、右一〇〇万円の領収証による支払を含め、勘定科目番号〈24〉においてこれを五二三万円と認定していることが明らかであるから、右一〇〇万円の領収証が架空であるか否かは、佐々木善八に支払った工事費用の額に何らの影響を及ぼさないというべきである。

六、その他の勘定科目について

所論は要するに、

(1)  勘定科目番号〈37〉の高橋清孝に支払った利子割引料を一、五〇〇万円と認定し、被告人の主張する礼金二〇〇万円(八〇〇万円の融資を受けたのに対し礼金を含め一、〇〇〇万円を返済)を排斥したのは失当である。なお利子割引料に関し同番号〈1〉、〈3〉、〈4〉の取引は昭和四六年中に成立していないので、検察官の主張する金額から取引未成立分を按分して二、六七八万七、七二五円を減算すべきである。

(2)  同番号〈41〉の支払手数料七、九五六万円には、同番号〈1〉小泉弥太郎との取引に関する一、三二五万円、同番号〈3〉大京観光との取引に関する一、〇〇〇万円、同番号〈4〉東和レジスターとの取引に関する三、〇〇〇万円が含まれているが、〈1〉、〈3〉、〈4〉の各取引は昭和四六年中に成立しなかったから、これらは同年度の支払手数料に計上すべきではないし、同番号〈46〉の雑費中大京観光との取引に関する二五〇円の送料も同様である。

(3)  被告人は柳沢義春に対し、同番号〈6〉の小林昭一との取引に関して一二五万四、五〇〇円、同番号〈7〉の毛利修との取引及び契約の不成立となった三和プレシーザーとの取引に関して五、二五七万七、三五〇円を支払っているから、右一二五万四、五〇〇円及び五、二五七万七、三五〇円の二分の一を同番号〈41〉の支払手数料に加算すべきである。

というのである。

しかしながら、高橋清孝の質問てん末書(二通)によれば、同人は「被告人の依頼により、昭和四五年八月一三日ころ八〇〇万円と同年一二月二八日ころ五、〇〇〇万円を山林取得の資金として融資し、これに対する謝礼として、昭和四六年一〇月二八日に五〇〇万円と、同年一二月末に一、〇〇〇万円を受取ったが、被告人から受取った礼金は右の一、五〇〇万円のみで、他に受取った金はないし、貰うべき金もない」と供述しているところ、同人の供述はその取引金融機関である玉里農協に問い合わせて確認のうえなされたもので信用性が高いと解され、高橋清孝に対する支払利子割引料を一、五〇〇万円とした原判決の認定は相当であるし、勘定科目番号〈1〉、〈3〉、〈4〉の各取引が昭和四六年中に成立しないことを理由に、これら取引に関する支払手数料や送料を損金に計上すべきでないとする(2)の所論が採用できないことは、右各取引に関する前記認定から明らかである。(なお、利子割引料に関しても、右〈1〉、〈3〉、〈4〉の取引に関する分二、六七八万七、七二五円を差引くべきである旨主張する所論の採用できないことも同様である。)

また記録によれば株式会社三和プレシーザー(代表取締役小林昭一)との取引は、柳沢義春の仲介により被告人が同社に対し、岩手県岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番の四や同村大字藪川字外山二〇九番などの山林合計七二万三、一七三坪を、昭和四六年一〇月一四日から同年一一月一九日にかけ三回に亘り、合計三億二、二四三万五、二〇〇円で売却し、同年内に三億円余の代金を受領したが、右山林の中に県開発公社が持分を有する山林もあって被告人の買収が困難となり、昭和四七年三月と同年五月に被告人が合計五億二、三七六万五、六〇〇円で三和プレシーザーから買戻す約束をし解決した取引であり、昭和四六年中に成立した取引ではなく、本件においても同年分の取引から除外されていることが明らかなところ、柳沢義春の昭和四七年六月二四日付質問てん末書によれば、昭和四六年一二月二〇日付サン観光株式会社(代表取締役柳沢義春)名義の被告人宛五、二五七万七、三五〇円領収証は、柳沢と被告人の間において、前記大の平二一番の四などの山林一五万〇、二二一坪を、被告人が坪四〇〇円で共有者から買収し、坪四五〇円としてサン観光に処分を任せ、サン観光がこれを坪八〇〇円で三和プレシーザーに売却する旨相談し、その取引によってサン観光の取得すべき利益額(150,221×350円)を記載した、金員授受のない領収証であるというのであり、その金額の符合からして、右領収証は三和プレシーザーとの取引における柳沢義春の仲介手数料に関するものと解される。したがって三和プレシーザーとの取引が昭和四六年中に成立した取引でない以上、右領収証記載の金員が実際に被告人から柳沢に支払われたか否かにかかわりなく、同年中の損金に計上すべきものではないというべきである。なお、大蔵事務官宗像日出雄作成の銀行調査書によれば、岩手銀行材木町支店の岩崎光雄(被告人の息子)名義の預金から、富士銀行目黒支店の柳沢永芙子(義春の妻)名義の預金口座に、昭和四六年一二月二二日四、〇〇〇万円と同月二四日一、〇〇〇万円が送金されていることが認められ、被告人はこれを右領収証に関する支払であると供述するが、柳沢義春の前掲てん末書によれば、柳沢は被告人が三和プレシーザーに売却すべき土地を共有者から取得する資金として、同年一一月一二日ころ四、八〇〇万円を毛利マチから借入して被告人に貸付け、被告人がその支払として利息二〇〇万円を加えた五、〇〇〇万円を前記のとおり柳沢永芙子の口座に送金したことが認められるのであって、前記五、二五七万七、三五〇円の領収証の金員には勘定科目番号〈7〉毛利修の取引に関する手数料も含まれているとの主張は採用できない。そしてまた、小林昭一との取引に関して、被告人が柳沢義春に対し一二五万四、五〇〇円の手数料を支払ったと認めるに足りる証拠はなく、これらの支払手数料を損金に計上しなかった原判決の認定は相当である。

七、犯意について

所論は要するに、勘定科目番号〈1〉、〈3〉、〈4〉の各取引が、仮りに昭和四六年分の売上に計上すべきものとしても、被告人としてはこれらの取引に関しすでに述べた事情により、同年中に成立しない取引で、昭和四七年以降収入の確定したとき申告すればよいと考えたのであり、また三和プレシーザーの取引不成立により昭和四七年中に約三億五、〇〇〇万円の違約金を支払う必要が生じたほか、東和レジスターの道路問題で約三、〇〇〇万円、関山義人の取引に関して生じた自然破壊による原状回復に約二、五〇〇万円の出費が見込まれたし、地権者に対する買入価格の精算の問題もあり、これらの事情を総合すると欠損の判定されるべき要素もあると思い、右〈1〉、〈3〉、〈4〉等の取引を申告しなかったもので、被告人には所得税をほ脱する意思はなかった、というのである。

しかしながら記録によると、被告人は昭和四五年から盛岡市内に事務所を設け、個人で不動産業を始めたが、岩手県観光開発公社が岩手郡玉山村にある岩洞湖の湖畔を観光地として開発し始めたため、同湖畔の土地が観光適地として脚光を浴び、中央の大手業者などが土地ブームに乗りその取得に動き出したところ、被告人は地元業者として、玉山村在住の農家など多数が共有する同湖畔の広大な山林を買受けて在京の会社等に転売し、あるいは山林所有者がこれらに売却する際仲介して手数料を得るなどの事業を行い、昭和四六年中の土地売上げ額は七口で合計四億六、六五〇万円を超え、仲介等の受取り手数料のみでも二、九九〇万円に及び、これによって同年中に被告人の得た収入が巨額に達することは被告人自身充分に承知していたのにかかわらず、被告人は昭和四七年三月一五日所轄の盛岡税務署に提出した昭和四六年分の所得税確定申告書に、収入は手数料収入七七八万一、六四九円、必要経費が二三六万五、二二四円で、同年分の収益は五四一万六、四二五円である旨内容虚偽の記載をし、具体的な取引内容はもとより、真実の収入支出の状況は一切隠して全く申告しなかったことが認められる。所論は小泉弥太郎、大京観光、東和レジスターの取引が昭和四六年に成立したものとしても、被告人にはその認識がなかったとするが、これら各取引における売上げが同年分の収入に計上すべきことは前記のとおりであり、現実に移転登記を殆んど終了し、これに対する売買代金も昭和四六年中に支払われている右各取引において、その売上げが同年中の収入となるべきことは被告人も認識していたものと認められるし、同年中の取引に全く争う余地のない他の四口の売買や申告額をはるかに超える手数料の取得状況を全く申告しなかった本件において、小泉らとの取引の一部が未履行だったことを理由に、税ほ脱の犯意を否定することは許さないというべきである。なお三和プレシーザーの取引による損失見込や県公社の給水設備問題、自然破壊による原状回復、地権者との土地代金清算問題等が、本件における被告人の税ほ脱の犯意を否定すべき事由と認め難いことは、原判決が詳細に説示するとおりで、これに附加すべき点はない。

以上のとおり、原判決に所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第三(量刑不当の主張)について

原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせ検討するに、被告人は個人で不動産取引業を営んでいた昭和四六年に、山林の売買や山林売買の仲介などにより、一億〇、七八三万余円の所得があり、これに対する所得税額は六、八三八万余円であったのにかかわらず、所得税の確定申告において、所得の原因となった取引の内容やこれに対する費用の内容を全く秘匿し、手数料収入による所得が五四一万余円であると過少申告をして、おおよそ六、七〇〇万円に及ぶ所得税を免れたものであって、しかも脱税が発覚し修正申告したのにかかわらず、一、六九〇万余円しか現在まで納付していない事情に照らすと、被告人の国家課税権に対する侵害は甚だしいうえ、租税負担の平等性を無視した社会的責任も重大で、被告人の刑責は重いというべきである。

前記三和プレシーザーとの取引や、県観光開発公社の給水設備問題、自然破壊による原状回復などで、昭和四七年以降に相当額の出費があり、営業を個人から会社に承継せしめた昭和四七年には欠損が見込まれたことや、その予測が本件税ほ脱犯行の誘因となったことなど、被告人に対して酌むべき情状を充分考慮しても、被告人を懲役一〇月及び罰金一、四〇〇万円に処し、右懲役刑につき三年間その執行を猶予するとした原判決の量刑は相当と解され、これが不当に重すぎるものとは認められない。論旨は理由がない。

よって刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

検察官 清水安喜 出席

(裁判長裁判官 三浦克己 裁判官 野口喜蔵 裁判官 立川共生)

○昭和五六年(う)第六七号

被告人 岩崎善吉

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五六年六月六日

弁護人 阿部一雄

仙台高等裁判所

第一刑事部 御中

控訴趣意書

第一、原判決は(罪となるべき事実)として、判示事実を(証拠の標目)挙示の各証拠によって認定し「被告人を懲役一〇月および罰金一、四〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。この判決の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。」の判決をなした。

第二、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認がある。

一 売上関係

(一) 本件において問題とされているのは、被告人の昭和四六年一月一日から同年一二月三一日までになした不動産売買の取引のうち、右期間に設立した取引についての事業所得である。従って被告人のなした不動産売買取引がいつ成立したかを確定する要があり、その時期は一般的に言って当該契約に基づく債務の本旨に従った履行がなされた時点であり、税法上も代金支払完了目的物件の引渡即ち、目的物件の使用収益を開始させた時期及び所有権移転登記申請の時期が重視されている。(「法人税基本通達等の一部改正について」―昭和五五・五・一五付直法2―8新旧対照式9ページ以下参照)昭和四六年中に成立しておらぬ取引に関して同年中に売上金等として入金があったとしても、仮受経理として処理し、同年の収益金としては計上されないものである。

(二) 原判決添付別紙1の修正損益計算書勘定科目欄番号〈1〉ないし〈7〉の取引につき売上が計算されているが、〈1〉〈3〉及び〈4〉の取引は昭和四六年に成立したものと解することは出来ない。

1 〈1〉の取引について(小泉弥太郎関係)

被告人と小泉弥太郎との昭和四六年九月三〇日付契約書によって取引の対象とされた不動産は左のとおりである。

(1) 岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番二のうち

一、山林 一四一、一九〇m2(四二、七八五坪)日野沢一族共有持分

(2) 同上 二五番三

一、山林 一七五、八四一m2(五三、一九二坪)

(3) 同上 二六番

一、山林 一、九五一、一六六m2(五八〇、二二八坪)

(4) 同上 二六番五

一、山林 五六六、四九九m2(一七一、三六六坪)

(5) 同上 二六番一二

一、山林 二二九、六四二m2(六九、四六七坪)

イ 右各土地はいずれも共有地であるところ、右取引の単なる共有持分権の取得を目的とするものではなく、帝国ホテルの委託により買主である小泉弥太郎が右各土地の所有権を完全に取得することを目的とするものであるから、右各土地全部についての共有持分権の移転登記がなされ、その地域全部の引渡しが終らなければ債務の本旨に従った履行がなされたとは解されない。

(1)については日野沢才七、日野沢才一郎の各共有持分三九〇分の一五の移転登記が昭和四六年九月三〇日になされ(但二五番の二より分筆はしていない)(3)、(4)については同日、(5)については同年同月二八日までに全共有者の持分移転登記がなされたが、六五株の共有地である(2)の土地については四六年中に共有持分移転登記が完了せず、昭和四七年二月一五日に至って熊原清、石川慶悦、寿弥助、川島秀雄、庄内忠一、山沢義男、小綿春雄、竹田スワ各共有持分(合計六五分の一〇)の移転登記がなされており、また共有者の一人藤田光孝は売却に同意せず、昭和四七年その持分相当の地積を分割によって取得し解決している。

従って(2)の土地については昭和四六年中に完全な所有権の移転はなされず、また(1)については共有持分移転登記がなされたのみで、それに相当する地積を分割していないから引渡しがなされなかった事となり、少なくとも(1)及び(2)の土地につき昭和四六年中に取引が成立したとみる事はできない。四六年中に売上の一部として入金したときは仮受金経理として処理し、その取引が成立したとみられる昭和四七年の売上金として計上し、同年の事業所得として算出すべきである。

ロ 猶(1)について附言すれば小泉弥太郎は(1)の二五番二山林一、七二五、八六一m2(五二二、〇七三坪)全部を被告人が買い受けることにし、昭和四六年一二月末頃まで全共有持分を取得することになっていたが、同年九月三〇日土地売買契約書には二五番二として日野沢一族の共有持分に相当する地積四二、七八五坪だけが記載されているが、実際には右以外の者の共有持分も売買により小泉に移転されているので、右の事が窺われる。(二五番二の登記簿謄本によると日野沢俊彦、米沢イツ、山沢順治、寿忠吉、幅光夫、平野和雄、広田イト、広内金次郎、野々村権次郎、中野慶蔵、片島勘右衛門、竹森寿吉、広内章、熊原清、山崎忠善、八巻登久夫、小林忍の各共有持分が売買により小泉に移転登記されている。)

また(2)の土地につき原判決が説示する如く幅光夫の単独所有となったものであるとしても、その旨の登記がなされておらず、前共有者のうちにはこの点を争うものもあるので、被告としては幅光夫から買受けるについても、対抗要件を具備するため前共有者から各持分権の登記を中間省略の方法により小泉に移転させる義務があり、前記の如く昭和四七年二月一五日まで大部分が履行されたが、藤田光孝の分は昭和四九年二月六日に漸くなされていて、これを果さなければ債務の本旨に副う履行をなしたことにはならぬ。

ハ 共有不動産の取引については共有者全員の合意とその共有持分を取得することが必要で、これができなければ該不動産につき円満な権利の行使即ち該土地全部の使用収益ができないので、取引の目的が達せられぬ事になる。債務の本旨に従って履行がなされぬ時は、絶えず解約或は損害賠償の責を負う危険にさらされており、この点については本件売買契約においても契約条項に規定されている。(昭和四九年符第七号一九八売買契約書について)

しかし、小泉において本件売買契約を解約しなかったのは当時不動産ブームで土地は値上りの趨勢であり、これを買付けて保持していれば、直ちに開発して使用収益しなくとも値上りの利益が期待されたからであって、不動産の価額が横這い又は下落の傾向にあれば、当然解約或は損害賠償の請求がなされ、相当の損失を覚悟しなければならなかったであろう。

一方において被告人が出来るだけ本件取引を成立させようとして地権者からの買入価額の上積み或は持分権移転による地権者の税金の負担について配慮する等地権者の要望に応え、多少日時を要しても取引をまとめ上げるために尽力した点を考慮したものと思われる。

ニ 本件各土地の地番毎の境界を明示して引渡すことは昭和四六年中になされておらず、更に右各土地の各地権者(各共有持分権者のこと)との買入価額の精算も昭和四七年四月頃に最終的になされており、右取引の損益は昭和四六年中に判然算定できなかったから本件各土地の売買取引は昭和四六年中に確定的に成立しなかったものと解すべきである。

ホ 然るに原判決は共有地の取引について共有持分のみを取引の対象とした場合でなくとも、共有持分権の移転登記がなされた部分に相当する代金については収入すべき権利が確定したものとみて売上金に計上すべきであると謂うが、共有物の取引が成立したとしているのか取引の成否には関係なく代金の一部が被告人の手許に入ったから、これに税を課すべきだとされるのであろうか。

共有持分の移転登記がなされた分については収入すべき権利が確定したとされるが、簡単にそう断定できるものであろうか。本件取引については前述のように小泉弥太郎から解約されなかったからであり、昭和四六年一〇月一四日三和プレシーザーとの取引は解約され、多額の賠償を負わせられている。従って共有物の取引については、その持分権一部移転の段階でその取引が成立したかの如く処理するのは危険である。

原判決の見解は数億或は数十億の一区画全域買収取引に際し計画区域全面買収を停止条件として引渡を行う取引の場合は兎も角、共有物不動産の取引については全共有持分移転の時、それができず、一部共有持分移転で妥協するときは共有物分割の上その引渡しがなされた時期を取引成立の時期とすべきではあるまいか。

従って、原判決は共有不動産取引成立の時期、延いては本件土地の売買取引成立の時期を誤認した違法がある。

2 〈3〉の取引について(大京観光株式会社関係)

被告人と大京観光(株)との昭和四六年一〇月二五日なされた売買契約の対象となった物件は左記のとおりである。

(1) 岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番二

一、山林 一、七二五、八六一m2(五二二、〇七二坪)

(2) 同上 二五番の三

一、山林 一七五、八四一m2(五三、一九二坪)

右各土地はいずれも六五株の共有地であるところ、右各取引も前記〈1〉の取引と同様買主の大京観光(株)に対し右各土地の共有持分権全部の移転登記がなされ、その地積全部の引渡がなされなければ債務の本旨に従った履行がなされたとは解されない。

(1)については実際は六一株共有持分の内五三株の共有持物が昭和四六年中に買主たる大京観光(株)に移転されたのみで、日野杉イソ、石川慶悦、山沢義男、宮崎要の各共有持分(合計六一分の六)については昭和四七年一月二四日に買主に移転登記がなされ、売却に反対した藤田光孝の共有持分については買収不能のため、この持分六五分の二に相当する五三、一六六m2の広さの土地を昭和四七年二月二四日共有物分割により(1)の土地から二五番四として分筆して解決している。(2)については昭和四六年中に買主に対し移転登記も引渡もなされず、結局帝国ホテルとの関係もあって解約となっている。よって本件取引は昭和四六年に成立したものとすることはできず、(1)について一部支払を受けた代金については仮受経理として処理し、右取引が成立した昭和四七年の事業所得として計上すべきである。

然るに原判決は(1)についてはその共有持分の移転登記が昭和四六年中になされているので、その部分に相当する収受した代金は売上に計上すべきものとされるが、共有不動産の取引成立の時期との関係が明らかでなく、〈1〉の場合と同様の違法がある。

3 〈4〉の取引について(東和レジスター販売株式会社関係)

イ 被告人と東和レジスター販売(株)との取引は被告人が昭和四六年一一月二六日左記物件を右会社に代金一〇、一〇〇万円で売却した契約に関するものである。

岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番一八二

一、山林 二四三、九五四m2(七三、七九六坪)

右契約には目的物件である右土地の隣接地にある岩手県観光開発公社管理の道路を買主が利用できる旨の承諾書を売主である被告人の責任において買主に交付すること並びに右承諾書が間に合わぬときは金五〇〇万円を承諾書交付の時まで保留する旨の特約条項が定められており、被告人は昭和四六年中に右承諾書を買主に交付できなかったため、代金の内九、八〇〇万円の支払を受けただけで三〇〇万円が留保され、更に右道路問題を早期に解決して買受けた土地の使用収益ができるよう要求され、一方岩手県観光開発公社からは右道路問題に関連して「水源地」問題をまず解決するよう要請され、被告人は東和レジスター販売(株)から同社に売却した土地の内県開発公社で「水源地」として使用していた二〇〇坪を金二〇〇万円で買戻して開発公社に無償で譲渡し、約三、〇〇〇万円を投じて揚水設備を造って渡し道路利用の承諾を得て、昭和四八年三月頃漸く解決した。従って本件取引に関する収支の見通しは昭和四六年中にはつかず、目的土地の所有権移転登記は昭和四六年一二月一四日になされたものの債務の本旨に従った履行はなされていないから、昭和四六年中に成立した取引と解することはできない。従って、本件土地代金は昭和四六年分の収入金に入らない。

ロ 然るに原判決は留保された三〇〇万円については本件特約条項の履行に対応するものとして売上から除外することが認められたが、本取引自体は昭和四六年中に成立したものと解している。

本件特約条項は本件契約の重要な内容をなすもので、右特約条項履行の有無が本契約の死命を制する。該道路利用の有無は土地の使用価値延いては交換価値についても多大の影響を持つからである。

東和レジスター販売(株)が特約条項が履行されなくとも解除の意思はなかったと言うが、これは〈1〉の取引について述べたと同様本件契約当時不動産ブームで土地値上りの情勢にあったからと日時は要しても被告人が誠意を以て解決したからに他ならない。さもなければかならずや解約賠償請求の問題が持出されたに違いない。

よって原判決の右契約の成立時期に関する見解は失当である。

二、仕入関係

1 別紙1修正損益計算書勘定科目欄番号〈16〉〈17〉〈18〉について(日野沢才七外熊原清外成島忠雄関係)

同番号〈15〉〈17〉および〈18〉の各仕入金額はいずれもこれに対応する同番号〈1〉〈3〉および〈4〉の各取引が昭和四六年中に成立していないから在庫である上、各地権者との上積による精算も同年中になされていないから原判決の如く仕入金額として計上すべきではない。

2 同番号〈16〉について(深野儀一関係)

被告人が小泉弥太郎に代金六〇〇万円で売却した左記物件(番号〈2〉として計上分)を深野儀一から仕入れた金額を原判決は被告人作成の「仕入金欄」深野儀一の昭和四七年一一月七日質問てん末書により五〇〇万円と認定しているが、被告人は該金額に金二一〇万円を追加払しているので金七一〇万円とするのが正当である。

岩手県玉山村大字藪川字外山三四番一

一、原野 二二、二九七m2(六、七五六坪)

3 同番号〈21〉について(期末事業用土地関係)

原判決が計上しているもの以外に、番号〈15〉〈17〉および〈18〉の仕入による土地はいずれも〈1〉〈3〉および〈4〉の取引が昭和四六年中に成立していないので期末事業用土地として加算計上すべきである。

三、道路工事原価関係

1 同番号〈23〉について(民部田幸次郎関係)

被告人が民部田幸次郎に支払った昭和四六年分の道路工事費原価は原判決で認定され一、二一五万円のほか昭和四六年一〇月二一日付領収書(昭和四九年押第七号符一一号領収書七枚のうちの一枚)記載の金二〇〇万円を計上すべきに拘らず、原判決が民部田の供述を易く信用して架空のものと認定したのは誤りである。被告人としては架空の領収書を作成すべき何らの理由もないからである。

2 同番号〈24〉について(佐々木善八関係)

原判決は被告人が佐々木善八に支払った昭和四六年分の道路工事費原価として金五二三万円を認め、昭和四六年一〇月二日金八〇万円(佐々善建設発行の同日付領収書存在)及び同年一一月三〇日金一〇〇万円(同日付丸善建設より被告人宛領収書存在)領収書二通とも符一一号―の支払については領収書が架空であると認めたのは失当である。被告人としては架空の領収書を必要とする何らの理由がなかったからである。

3 同番号〈25〉等について(杉山武松、三浦政人、花坂建設関係)

被告人が道路工事原価として杉山武松に金五〇万円、三浦政人に金五〇万五、〇〇〇円支払った事は原判決も認めたが、花坂建設に支払った金五〇〇万円については昭和四六年九月三〇日付花坂建設株式会社作成の領収書(符第一一号)が存在するに拘らず、民部田幸次郎の検面調書等により架空のものとして認めなかったのは失当である。何となれば被告人が亀橋の土地の道路工事の際、佐々木善八の兄にブルドーザー作業を依頼し、その作業を実施したので金五〇〇万円を支払ったものであるからである。

四 その他の勘定科目関係

1 同番号〈37〉利子割引料

原判決は被告人が高橋清孝に支払った利子割引料として金一、五〇〇万円と認定し、被告人の主張する礼金二〇〇万円(八〇〇万円の融資を受けたのに対し一、〇〇〇万円返済しているのでその差額二〇〇万円)について斥けたのは失当である。

同番号〈1〉〈3〉および〈4〉の取引は昭和四六年中に成立していないと解するので、検察官主張の金額から取引未成立分を按分して二、六七八万七、七二五円を減算すべきである。

2 同番号〈41〉について(支払手数料関係)

原判決が認定した支払手数料のうち左記手数料はいずれも各取引が昭和四六年未成立なので減額すべきである。

(1) 小泉弥太郎取引関係(同番号〈1〉)

日野杉盛-二五万民部田幸次郎-一、三〇〇万円

(2) 大京観光取引関係(同番号〈3〉)

大岡達夫-一、〇〇〇万円

(3) 東和レジスター取引関係(同番号〈4〉)

長岡、阿孫子、沢田、野島-一、〇〇〇万円

泰北開発工業(田畑)-二、〇〇〇万円

3 その他の支払手数料について

イ 小林昭一関係

被告人は小林昭一との取引関係で柳沢義春に金一二五万四、五〇〇円支払っているが、原判決が之を認めなかったのは失当である。

ロ 柳沢義春関係

被告人は昭和四六年一二月二〇日サン観光株式会社の会長柳沢義春に対し金五、二五七万七、三五〇円を支払っており(同日付同会社の被告人宛受領書参照―符二二七号)これは被告人と三和プレシーザー株式会社との取引でその仲介をした柳沢義春に交付すべき利益と、毛利修との二口の取引(同番号〈7〉)で柳沢に交付すべき利益金(利益金合計四、五四七万六、〇〇〇円の二分の一の二、二七三万八、〇〇〇円)が含まれているので、右金員を支払手数料に加算すべきである。原判決がサン観光の領収書記載の金額はすべて被告人が三和プレシーザー(株)に売却する取引に関するもので、毛利修との取引の分は含まれていないと認定して斥けたのは失当である。猶原判決は前記領収書は同書記載の金額を支払う予定の下に発行されたものであるから、現実の収払はなかったのではないかと疑問視している。

しかし、金五、二五七万円余の大金につきその支払も受けぬのに領収書を発行するであろうか。特段の事由がない限り該金員は支払われたものと解するのが相当である。

4 同番号〈46〉について(雑費関係)

大京観光取引分の送金料二五〇円は右取引が昭和四六年中に成立したとみるべきものではないから計上すべきでない。

五、被告人の犯意について

被告人にはほ脱の意思はなかった。前記不動産の取引については仕入に係る共有地の一部持分の取得ができず、昭和四六年中に取引が成立したとは考えていなかったし、仮に右取引によって相当の利益が見込まれたとしても(1)三和プレシーザーとの取引不成立により違約金を支払わねばならず、その額は三億五〇〇〇万円を下らぬものと考えていた事、(2)東和レジスターとの取引につき道路問題解決のため岩手県観光開発公社との関係から給水設備費等の約三、〇〇〇万円が見込まれた事、(3)関山義人との取引に関し自然破壊による原状回復の問題が生じ約二、五〇〇万円の支出が予測されたこと、(4)地権者との買入価額について精算問題があった事等により損益勘定すると欠損に判定する要素があり、所得税申告時点では損失額がどれ程になるかと不安感を持っていたので、本件不動産の取引就中番号〈1〉〈3〉及び〈4〉については昭和四七年度以降に申告すればよいと考えていた。

六、よって売上関係において合計五〇九、〇七五、三八五円を取引不成立-在庫とした際仕入関係においては三一四、〇一九、〇六四円を右に対応する仕入代金として除外する外、右に述べて来たその他の勘定科目について増減がなさるべく、その結果は本件課税所得金額の算定延いては判決に影響すること明らかであるので原判決の破棄を求める。

第三、原判決は量刑不当である。

一、被告人は前述の如くほ脱の意思がなかったし、本件は昭和四六年の所謂不動産ブームに乗じて平素は取引の目的とされなかった山林、原野までが取引の対象とされ、中央大手業者の進出と地元地権者の間に立って取立の成立をはかった際になされたものであって、資金の乏しい被告人としては両者の中間に立って取引をまとめるので苦慮し、地権者に対する買入価額の追加払・税金の負担までして円満に取引の成立をはかった。

二、被告人の不正手段は悪意のものではなかったし、共有不動産の取引についてその成立の時期について見解の相違があり(国税庁、検察庁等)被告人としては共有持分全部の移転登記の終了と買入代金の精算終了しなければ取引が成立したとは考えていなかったが国税庁に要請されるまま修正申告をしている事、猶本件取引の仕末については被告人は岩化産業に引継いだが昭和四七年以降赤字となっている事

三、被告人は本件について週刊誌等で喧伝されたが、自己の会社の商号を「三菱」産業と称したため、財閥「三菱」と関係あるが如く誤解されるのを恐れた「三菱」に関係ある勢力から再三商号変更するよう電話があり、被告人も岩北産業と変更せざるを得なかった。昭和四七年六月二〇日国税庁の強制調査がなされたのも右勢力の影響によるものではないかと考えられる。

四、よって無罪若しくは原判決より一層軽減した御判決を希う次第である。

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